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自分史3
「河庄」に入って半年程すると、本店から福岡ビルの地下の支店に移動になりました。その時の福ビル店の店長は現「高玉」の大将の黒田さんです。私の先輩なのです。

河庄出身の一緒に働かせてもらった方には、中洲の「笹田河庄」の大将、国体道路沿いの「なか庄」の大将、渡辺通りに本店のある「やま中」の大将、赤坂の「やま庄」の大将、とたくさんの方がいます。

河庄を卒業して、「庄」の字をのれんわけさせてもらって30年経ってもまだ、お付き合いのある方々が多いのです。たまに飲みにも行きます。年を重ねてもほとんどの方が変わりないです。会うと私もまだまだ頑張らねば!!と気合いが入ります。

福岡の寿司屋はやはり「河庄」出身が多いのではないでしょうか?改めて「河庄」の偉大さを思い知らされます。
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【2006/11/27 13:33】 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
自分史2
「河庄」に入ってからの生活はというと、朝は早く夜は遅く、辛かったのは食事です。壱岐では夕方5時頃には晩ご飯を食べるというような生活をしていましたから、お腹が空いて空いて胃が痛くなっていました。その上入ったばかりの私はいつも最後で、今のようにご飯の保温器があるはずもなく、冷や飯でゴッチンご飯でした。しかし、こういう修業時代があったからこそ、今の私がある、ということは言うまでもありません。

入ってからの仕事は雑用です。赤貝のカラ割りをしたり、西中洲の本店から福岡ビルの地下の支店まで自転車の荷台に60キロの米を乗せて運んだりしていました。入社当時40キロだったと前回話しましたが、自分の体重より米が重くバランスを崩し、水上(すいじょう)公園の所で米をバラまいてしまったこともあります。警察官が来て、河庄の先輩と一緒にはいてくれましたが。思い興せば・・・です。
【2006/11/26 11:57】 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
自分史1
福岡で寿司の仕事に携わって、42年経ちます。長崎県壱岐から福岡西中洲の「河庄」に就職をしました。15歳になったばかりで、今の私を知っている人は想像できないと思いますが、体重は40キロ。背も低くまさに子供です。

この年は東京オリンピックが開催された年でもあります。この「河庄」で12年と5ヵ月間修業をし、27歳で独立。福岡市中央区平尾にて「玉庄」を開店しました。37歳で一本木バス停前の今の場所にビルを建て、現在に至ります。色々な事がありました。少しずつですが、振り返っていきます。
【2006/11/25 00:58】 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
玉庄の大将のブログ始めます
ホームページとは別にブログを始めます。日々出来るだけ更新していきたいと思います。
玉庄・・・
寿司・割烹 玉庄
福岡市中央区平尾2-1-17 一本木バス停前
http://www.gyokusyo.net
【2006/11/25 00:10】 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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