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自分史8
オープンから1ヶ月経った頃、初めてのスタッフ、山下くんが入ってきました。
営業は、店内と出前営業の2本立てで売上を確保したいと考えていました。しかし、簡単にうまくいくはずもなく、電話の前を陣取って電話待ちをしていたのも今考えれば、いい思い出です。

とにかく、借金からのスタートでしたので、些細なことで家内と喧嘩ばかりでした。

出前で使う器。
伝票を見れば何をどこへ配達したかは分かります。しかし、どんな器でいくつの器で配達したのか、それはもう回収済なのか、それが分からないのです。当時の私たちにとって器は決して安い物ではありませんでした。それなのに・・・です。要領を得るまでが大変でした。

ご近所トラブル
よそ者にはどこの地域でも厳しいものです。ましてや近くに古くからあるすし屋がありましたので、なおさらのことです。室外機がうるさい、排水が流れてくる、迷惑だ!と。私たちにはどうしようもないことです。
そして、わざわざ「まだ潰れんと?」といいに来る方もいました。悔しくて悔しくて、いつか見返してやる!と心に誓うしか出来ませんでした。

長女のこと。
長女が生まれて半年でオープンしたので、きっと家内は子供と一緒にいたかったに違いありません。しかし、売上も安定しないのに、他の人を雇うほどの余裕はなかったのです。

休みは月に1回か2回。私たちは小笹団地に住んでいました。長女は家内の両親が原に住んでいましたので、完全に預けたままになっていました。朝から晩まで、そして、一度閉めたのにお客様から電話があってまたシャッターを開けることも・・・明け方まで営業していたこともありました。

それほど必死に、早く借金を返したい、という思いが強かったんでしょうか。いえ、成功したい、という思いが強かったんでしょうか。そして、まだ20代。若かったんですね。思いに体がついてきてくれていました。ガッツと根性、突っ走っていました。

そんな矢先、家内の両親の家が立ち退きに。
子供を育てるには一軒屋でないとダメということで、あちこち探し回ることとなりました。
そして、ここでも屈辱を味わうこととなったのでした。
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【2010/11/10 22:43】 未分類 | トラックバック(0) | コメント(3) |
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