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自分史7
昭和51年9月15日。これが開店日となりました。

開店をするにあたって、世の中の常識、世の中の厳しさを知ることとなります。
まずは店を出す場所。
父から言われたのが河庄本店のある西中州に近い場所はダメ、ということで、色々なところを見てまわりました。そして、平尾に行き着いたのです。

しかし、不動産屋さんは難色。平尾には寿司屋がすでに何軒かあるため、他の場所にしたほうがいいんじゃないかと言われ、、、そんな時、河庄のお客様とバッタリ!客層も違うんだからと不動産屋さんに後押しをしてくれたのでした。

そして私の父が、野とも山とも知れない若い二人なので、家賃を下げてほしいと交渉してくれました。年の功ですね。思いつきもしなかったし、下げてくれるとも思ってませんでした。が、下げてくれました。

バタバタと話が進み始めましたが、先立つものはやっぱりお金で。自分でもそれなりに貯金はしていましたが、自己資金だけでは無理で、当時の「のれん分け融資金」という制度と「国民金融公庫」を利用して借入をしました。

開店は9月。クーラーを付けようか付けまいか、お金に余裕のない私は悩みに悩んで何とか付けました。当時は本当にお金がなくて数少ない資産の、電話の加入権まで売ろうとしていました。そうやって開店へとこぎつけたのです。

福岡市中央区平尾2-1-19太陽ビル1階。現店舗の一軒となりです。現在はワンルームマンションとなっています。

9月15日に身内だけの内祝いをし、16日は休み、17日、18日が招待日で、19日から完全なオープンとなりました。17日の招待日1日目に河庄の先代の大将と奥様がお祝いに駆けつけてくれて、最初のお客様のお迎えをしてくれたのでした。

この日のことを一生忘れないでしょう。

夫婦二人だけのオープンだったので人手がなく、「なか庄」の大将の配慮で従業員の一人を応援によこしていただき、無事にオープンを何とか乗り切れました。

これも感謝感謝です。いつも感謝しています。

しかし、これからが本当に大変な毎日の始まりだったのです。
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【2008/10/02 19:55】 未分類 | トラックバック(0) | コメント(2) |
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コメント
私が初めて伺ったのは、開店されてから三年後位だったのでしょうか…?
河庄の先代大将御夫妻と、なか庄の大将の心意気と御心遣いには脱帽です。
そうして人間は造られて錬られていくのだと思います。
玉庄の大将の笑顔にも人生の素晴らしさと厳しさが溢れていると思います。
私達には真似が出来ない事と、ちうもながら敬服しています。
【2008/10/21 17:53】 URL | 金ちゃんの鉄火巻きファン #hMs50EFI[ 編集]
金ちゃんの鉄火巻きファン様のようなお客様に支えられて、32年を迎えられました。

初心にかえって、この厳しい時代を乗り切っていきたいと思います。

いつもご声援ありがとうございます。今後ともよろしくお願いします
【2008/11/01 20:17】 URL | 石橋修@玉庄 #-[ 編集]
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