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自分史2
「河庄」に入ってからの生活はというと、朝は早く夜は遅く、辛かったのは食事です。壱岐では夕方5時頃には晩ご飯を食べるというような生活をしていましたから、お腹が空いて空いて胃が痛くなっていました。その上入ったばかりの私はいつも最後で、今のようにご飯の保温器があるはずもなく、冷や飯でゴッチンご飯でした。しかし、こういう修業時代があったからこそ、今の私がある、ということは言うまでもありません。

入ってからの仕事は雑用です。赤貝のカラ割りをしたり、西中洲の本店から福岡ビルの地下の支店まで自転車の荷台に60キロの米を乗せて運んだりしていました。入社当時40キロだったと前回話しましたが、自分の体重より米が重くバランスを崩し、水上(すいじょう)公園の所で米をバラまいてしまったこともあります。警察官が来て、河庄の先輩と一緒にはいてくれましたが。思い興せば・・・です。
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【2006/11/26 11:57】 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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